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2011年 05月 22日
5/21(土)に、盛岡市社会福祉協議会が行った岩手県大槌町へのボランティア活動に参加してきました。以下、自分向けの備忘録としてダラダラっと書きます。
・仕事を追えた後、翌日朝に食べる弁当を買って帰宅。入浴、食事、翌日昼の弁当づくり。弁当は保冷シート付きの袋に保冷剤、お茶と共に入れる。クーラーバッグも用意して、それにも保冷剤(翌日に弁当袋に追加する用)、あとコーヒー(運転時用)、オレンジ(朝食用1、帰宅時用1)、栄養ドリンク。 ・8時過ぎに出発。給油と数度の休憩を挟む。雫石のコンビニに、「たばこ入荷しました」の張り紙。最近まで入荷が少なかったか? ・盛岡駅南口時間制駐車場は、カプセルホテルまでちょっと遠い。次はここには停めない。でも安い。2日駐めて800円。 ・ホテルのねぐらにもぐりこんだのは11時。 ・コーヒーの飲みすぎか明日への興奮のためか、あまり寝られず。しかたなくロビーの自販機でビールを購入。ローカル放送の地元のラーメン店の特集を見ながら流し込む。「いざ被災地へ」という自分のテンションと、地元局の番組の日常感のギャップが不思議な感じ。 ・集合場所の「マリオス」には、6時前から人がちらほら。県社協のバスを待つ中年の男性の隣に座って、弁当を食べる。その人も、自分と同じで初めてのボランティア。別れ際、「はじめから飛ばしてバテないようにね。がんばって」と送り出してくれた。 ・2つめの集合場所「ふれあいランド岩手」で第2陣が乗車。ここで社協から「ボランティアセット」の配布を受ける。大きなビニール袋の中にタオル、スポーツドリンク、ミネラルウォーター、軍手、せっけん、ポケットティッシュ、ボディシート、カイロ、立体マスク、カロリーメイト。ずっしり重い。「いいから被災者に配ってよ!」とツッコミたくなった。辞退しようかとも思ったけど、特にそうゆう人もなく、自分の家の避難用にと思って結局もらう。 ・今は、次にボランティアに行く時使えばいいか、と思う。 ・バスで3時間弱移動。長距離移動してきた人たちが休憩してるため、車内は静か。自分も眠る。 ・遠野市に入るあたりから、自衛隊車輌とよくすれ違うように。沿道には、「支援ありがとう」「ごくろうさまです」などといった横断幕や張り紙が目立つ。グラウンドに自衛隊車輌が駐まっている学校がいくつか。宿営地か、避難所か。 ・遠野の風景はとてものどかで綺麗。古い民家が多く残っているように思った。地震の建物被害はあまりなかった? ・釜石市に入る。「駅から先は津波で大きく被害を受けています」と社協の男性から説明(後で聞くと、この人は社協の職員ではなく、関連する団体の役員だそう)。 ・でも実際には駅に行く前から、震災的な風景があちこちに見える。かっぱ寿司には「休業中。再開に向け準備中」の張り紙。貸し衣装店(?)には「外壁にひび割れ 注意」の張り紙。小さな建物の前に行列。そこでインタビュー中のテレビクルー。でもそんな中でも部活に向かうと思しきジャージの女子中学生。 ・釜石駅のあたりから、白黄色の消毒薬のようなものがあちこちに撒かれている。 ・駅の後ろに流れる川の川沿いに漂着物が残ってる。 ・バスは川を渡り、その先の商店街に。目に見えるものはすべて壊れている、といった状態。 ・店があったはずの場所には瓦礫や木材や潰れた車や信号が積み上がっていて(地面に信号機が置いてある光景は異様)、その奥にはまた瓦礫や半壊した建物が見える。 ・全壊を免れた建物も、シャッターや入り口がひどくゆがんだり、斜めに倒れたままになってたりと酷い状態。 ・だが、道は普通に通行できるし、信号も生きている(斜め向いて消えたままの信号機もあった。元から斜めだったものだろうか?)。 ・とんでもない状況ではあるけど、壊れたなりに整理されている。ここまでにした努力の量を想像し得ない。何から手を付けて、どれだけの行動でこの状態になったんだろう? ・山間部を通って大槌町へ。川沿いの林に流されてきた車が入り込んでいる。 ・海のほうの平地には、本当にほとんど何もない。ただただ、茶色一色の風景。でも元の状態を知らないので、その時は何があったのかよく分からなかった。 ・(これを書くためにネットで地図を確認してみると、目にした範囲のほとんどは家や建物が建っていた場所だった…。あと、グーグルマップの航空写真は震災後のものになっている様子) ・道沿いに公営住宅?らしき鉄筋の住宅が数棟建っていて、これは無事かと思ったら、下階の窓からは泥だらけのカーテンや何かがぶら下がっている。 ・躯体だけになってしまったショッピングセンター「シーサイドタウンマスト」の近くを通る。本当にがらんどう。周りで建設車輌が動いている。 ・活動場所は桜木町地区。ここは家並みが残っている。ボランティアセンター(元々は地区の保健福祉会館)前で2班に整列、それぞれ個人宅の片付けに向かう。 ・こちらの班の仕事は、家の周りと花壇に流れてきた泥(乾いて土になってるが、塩を含むので捨てねばならない)を土嚢に詰めて、近くの川の堤防に運ぶこと。ほかに、ブロック塀や物干し台やら庭石、タイヤなんかも。 ・堤防の斜面は、すでに土嚢やありとあらゆる家財道具でいっぱい。タンス、ガラス、本、ダンボール…。 ・みんな自主的に行動するので、仕事の分担はすぐに何となく決まる。自分は午前の前半は、ネコ車での往復や堤防下での物の受け渡しをした。バケツリレー方式で上のほうに上げていく。右足を上側にしてふんばってたら、あっという間に筋肉痛に。 ・上に登った数人が、捨てる場所の確保のために元からある廃棄物を整理してくれた。 ・暑い日でもあり、すぐに汗だくに。ゴーグルが、曇りを通り越して濡れてしまって危ないので外す。 ・運搬と堤防での荷受けは人が足りてきたように思えたので、途中からは泥の回収をメーンにやる。 ・持って行ったスコップが大きすぎて、土嚢袋に泥を入れづらくて閉口。荷受け組みの人が貸してくれたスコップに持ち換える。 ・泥を掘り進むにつれ、「土かと思ったら下はコンクリートだった」とか「こっちのほうはどうやら砂利じきだったのでは?」とか、元の状態をみんなで推測していく。これは、作業内容を指示した後、家の人が現場を離れてしまったため。 ・元の状態が分からないので、作業が進むにつれ「どれくらい土を掘ったらいいのか?」という戸惑いを言い交わすように。ある程度の層からは、ガラスなどの異物・危険物の発見と除去が中心になった。 ・別の家から流されてきた生命保険会社の封書とか、筆ペンとかクレヨンとかを発掘。 ・家の外壁には、2メートルくらいの高さに津波の跡が。 ・家の中はほとんど何もなし。でも時計は正確に動いていた。神棚はきれいだった。津波の後で整えたのかも。 ・床板は、ところどころ外してあった。 ・「床下の泥を取らないと住めない。この床板は、外して洗えばまた使えると思う」と、関西弁の60代くらいの男性に教わる。
by fujiiymk
| 2011-05-22 21:42
| 震災・ボランティア
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